あれから19年

今日は阪神淡路大震災の日です。
そして母の命日でもあります。
母は震災に巻き込まれて亡くなったのではないのですが、長期入院中で朝の猛烈な揺れでおそらく気が動転して息を引き取ったと思われます。
私も当時伊丹に住んでおり、あの朝の猛烈な揺れは身体に摺りこまれています。
居室内は物や食器が散在して足の踏み場もない状態でしたが、我が家の集合住宅や周りの住宅も異常がなく、これほどの甚大な被害があるとは夢にも思わず、自転車で会社に向かいましたが、途中で旧家の土塀や蔵は倒れ母屋も傾いている状態で、橋上駅だった阪急伊丹駅は崩壊しており惨憺たる状況でした。
会社についてからTVでの中継を見て、余りの被害に愕然とし、この時点で火災は発生していましたが、これほど多くの人が家の下敷きになり焼死するとは思いもよりませんでした。
電話は通じず夕方になって兄からの連絡で母の死を知りましたし、後日神戸に住んでいた従兄弟も亡くなったことを知りました
それからの2〜3週間ほどは、母の葬儀や生活水や用品の確保のために落ち着かない日を送りましたが、ややもするともう遠い昔の出来事だったように思ってしまいます。
しかしいつ何時又同じような災難が起きるやも知れませんし、近い将来に起こると言われています。
皆さんも油断なく対策を講じましょう。
午前中には父母を祭ってあるお寺に参ってきました。
そのお寺の鬼瓦を貼り付けて、震災で犠牲に生られた方々へのお祈りとします。